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被災地ボランティアレポート(ボランティアセンターについて)

2011.05.12

今回はボランティアセンター(専修大学)の様子について書きます。

・山と川に囲まれた静かで広いキャンパス
・芝生があり、そこにたくさんのテントが張られていた。
・ボランティア用に仮設トイレがずらりと並んでいた。 仮設トイレの種類はいくつかあった。
 ①洋式
 ②和式 (排水口に蓋が有るものと無いもの。蓋が無いものは見た目がひどく汚い)
 ③男子用小便器のみのもの (排水口が詰まっていてひどく汚なかった)
 ④ひとつのボックスに小と大の便器と手洗いが付いているもの 
  (よく清掃されていて気持ちよく使用できた)
 基本は手洗いの水はなく、夜は明かりもないので一人ひとりが常に綺麗に使う心がけが
 大切でした。管理者の方を気の毒に思う・・・。
・ボランティアセンターの受付には毎朝多くの人が集まる。
・4号館は避難所として使用していた。

陸上トラックの芝生に張られたボランティアの方のテントの数々

仮設トイレ(手前の大きなものが小・大便器・手洗いがあり、常に綺麗だった素晴らしい仮設トイレ)

朝8:30頃のボランティア受付付近。ボランティアに来る人は9割ほどが男性で、学生から50歳台の方まで年齢層は幅広く、女性の参加者は若い人が多かったです。

専修大学は地震で一部地面が凸凹になったところがありましたが津波の被害はなく、被害がひどい地域から近い場所にあり、広い芝生と駐車場があるため、大勢の人が集まるボランティアセンターとしては適した場所でした。ウグイスが鳴き、桜が満開になる時期で、北陸と違い天気が良く、とても気持ちの良いところでした。
ただ、風が強かったです。それに、夜は寒いので気を抜くとすぐ風邪を引いてしまいそうでした。
私立大学なのにキャンパスをボランティアセンターと避難所に使用させてくれた館長も非常時に対してのボランティア精神が強い方だと思いました。

(いろんな組織のテントや巨大な半球の多目的用テントもありました。)

(T.K)

被災地ボランティアレポート(石巻市内の状態)

2011.05.06

ボランティア活動報告の前に石巻市内の状態について少しお伝えします。

・海辺付近の場所は瓦礫の山。
・海の潮のにおいと、魚の生臭さがあった。
・つぶれた車は放置状態。
・道は整備されているが砂が多く、砂ぼこりがひどい。
・地盤沈下しており、満潮になると冠水する場所もある。
・自衛隊の車が多く、米軍の基地もあった。
・津波が来なかった場所はそれほど損傷はしていなかった。
・石巻市ではこの災害で石巻市100年分のゴミがでたらしい。
・信号機が消えたままなこともあり、運転が危ないこともあった。
・自衛隊、ボランティアの車が多いためか渋滞がひどい。

左上:吉野町付近 右上:石巻漁港付近

左上:道路冠水 右上:ゴミ集積場

どんな力が働いたらこんな状態になるのかと思うくらい、家も車も見たことのない形になってました。
もし、この災害に耐える建築を造ろうとしたら全ての家をシェルター並の強度にしなければならないような気がします。

(T.K)

加賀市のオープンハウスに参加

2011.05.03

オープンハウス(公開住宅見学)に行ってきました。土曜日は雨も降らずちょうどいいあんばい。外観は蔵を意識し、加賀市の歴史や風土、文化など周辺の景観に配慮しているとのこと。
外壁や屋根はガルバリウム鋼板、妻側のルーバーは木組み格子、縦の木はわざとランダムに配し角度もいろいろ。施主が寒がりの理由とかで、Q値1.4の高性能、閉じた外観ですが中は結構明るい。コンパクトにまとまった素敵な家でした。設計は新井秀成さん(磯崎新OB)

リビングルームは吹き抜けになっていて木組みのルーバー越しに光が漏れてきます。木組みの縦のブロック上の木はランダムに配置してありますが、かえっておもしろみがあります。カーテンやブラインドをつけないで自然の光が入り季節を感じられます。

キッチンがリビングの一部にありますがパーティションで隠れるようになっています。ワンルームの中で上手に使い分けが出来るいい方法ですね。
他の設計者の創意工夫などによっていろいろ気づかされることが有ります。
いいオープンハウスでした。(T.T)

宮城県石巻市へ

2011.04.28

この度の東北地方太平洋沖地震により被災された、すべての地域の皆様ならびに関係の皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。

4月3日から3週間、ボランティアをするために一人で宮城県石巻市へ行ってきました。

そこで体験してきた出来事を少しずつですが、ブログにアップしていきます。

目的地に近づくたびに自衛隊の車がどんどん多くなっていき、緊張感が高くなっていきました。

テレビで見ていた壊滅的な風景をイメージしていたので気を引き締めて高速のインターを降りたのですが、意外と被害は少なく、そのときは少し安心しました。

ところが、海の方向に近づくにつれて急激に被害がひどくなり、一人では恐怖でそこにいたくないくらいダメージを受けた街がありました。
テレビで見るのとは違い、地震と津波の被害の大きさを肌で実感し、特に津波の力の強さに驚きました。

(T.K)

UIA2011 TOKYO is on track

2011.04.14

今年9月に建築家の世界大会が東京で開催予定です。3月の震災、原発事故によって海外からの参加者の動向が気になるところです。それにもまして国内の東日本全域の参加者が危ぶまれる事態になっています。
4月10日、芦原会長の事務所で予備会議をすることになりました。全国から15名の役員有志が集まり、いざ会議。
東北支援、震災対策が先、大会は中止。に始まりネガティブ意見が多数出たが、芦原会長は「ON TRACK」であると。つまり粛々と進行中だということだ。

ワインブレイクをはさんでワークショップへと相成りましたが進行役の会長は馴れたもの。まとまらない意見を紙に書かせて問題ごとに整理してみることにした。それぞれの言い分が文字となって一応の吐出しが出来た。開催を前提に問題を出す。大義は何か。この際、プログラムを洗い直して「災害」をテーマに変えてしまう。・・・・・・アイデアは尽きない。
でもこの議論もっと前からやっても良いくらいの中身ではないのか。

CO2-25%削減の地球温暖化対策は足もとの原発事故により、節電を余儀なくされた。東京の公共交通機関の駅はどこも薄暗い。ショーウインドウに照明はない。エスカレーターは軒並み通行不可。年寄りには都会は入りにくくなってしまった。TVニュースに出てくるが、被災者の避難場所として公共施設のあり方はもう一度考えなければならなくなったと感じる。公共建築はあくまで最後の砦として避難場所まで考えた施設であるべきだと。

会議場の芦原事務所は都会のど真ん中、眼下に桜の木が一本満開でありました。
何とかこの災害が収束していってほしいと願うばかりです。    (T.T)

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